録音1994年、ベルリン、ライヴ録音
国内盤、ソニークラシカル
トータル:64分49秒(表記タイムはCDのもの、とのこと)
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普通のプラケースにブックレット。ブックレットには「美しさを超えて〜アバドのチャイコフスキー」と題した諸石幸生氏の曲解説(94年CD発売時のライナー)。「死の歌の踊り」の歌詞と日本語訳。
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まずは、ムソルグスキーの「死」をテーマにした歌曲
アバドがカラヤンの後任で、ベルリン・フィルの芸術監督になったのが1990年。本作はその4年後、1994年、両者の関係も落ち着いてきた頃の、初のライヴ録音であります。
最初に収録されているのがムソルグスキーの「死の歌と踊り」。ムソルグスキー再評価に、並々ならぬ執念を燃やすアバドならではです。4曲の歌曲集ですが、ショスタコーヴィチがオーケストラ編曲をした版。聴いてみるとまったく「編曲」ということに気づかないほど、曲に溶け込んだ、それでいて個性の感じられるオーケストラ伴奏です。
バスのアナトリー・コチェルガの声が、またいい。バリトンに近いような透明感。この声はロシアの風土的な感じが漂います。アバドがムソルグスキーの作品にはいつも使う歌手だけあります。
「死の歌と踊り」は「死」がテーマといいながら、メリハリのある、意外と親しみやすい4曲で、かのチャイコフスキーの交響曲第5番の前に聴いても、ちっともじれったくないのでした。
チャイコの5番、「陶酔の盛り上がり」やいかに
さて、そのチャイコフスキーの5番です。
チャイコフスキーは第4番、第5番、第6番。どれが好きか、そのつど悩みますが、第5番の魅力は個人的には「第4楽章の盛り上がり」と考えています。
すべてをまとめて華々しく終了する第4楽章は、チャイコフスキーのメロディーメーカーとしての才能に、ワーグナーの陶酔感、ベートーヴェンの構築性が加わった怒濤のフィナーレ。これがキマると「余は満足じゃ」となるんですね。
その前に第2楽章。このSACDの音はかなり繊細なので、単純に音圧で迫力を感ずることはありません。でもベルリン・フィルの音は、やはり綺麗です。今年の3月、ベルリンで、ベルリン・フィルを聴きましたが、この第2楽章のアンダンテ・カンタービレで、そのときのサウンドを思い出してしまいました。
この第2楽章で盛り上がるところがあるのですが、これが意外と熱い。アバド、ジワジワときて、ぐっと土壇場で盛り上げる感じでした。
あえてヴォリュームを上げて迎える絶頂
いよいよ第4楽章。まずは「怒濤の」演奏ではないようです。
このSACDはステレオ再生なので、音場は「前面での綺麗な広がり」ということになります。音が透明なだけに、できればマルチチャンネルで、側面、背後まで残響を広げてほしかったところです。
先に書いたように、音圧が低めの音なので、中途からヴォリュームをアップしました。そうするとフォルテでの金管の炸裂、微粒子で気持ちいいですねえ。
いよいよエンディングのコーダ。ここからは徹底的にガーンと来てくれないと消化不良になりそうで、さらに音量をアップしました。ほんとこのSACDはボリュームを上げられます(結果、フォルテは大きい音になりますが)。
アバドはコーダに入って、ここぞとアクセル全開か。それも最後のホルンのワンフレーズで「バーン」と絶頂を演出した感じ。
思うに第4楽章って、どこからアクセルを吹かすか、ですよね。真ん中あたりからやられても、ウルサいだけだし。コーダですぐ、というのも芸がない。
アバドは溜め込んでの絶頂を狙ったような気がします。でも、気づけば“低温火傷のような”強い印象が刻み込まれていたのでした。また聴いてみたいと思います。
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アバドのSACD
2010.7.27
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