ゲルギエフのマーラーはいかに?
ヴァレリイ・ゲルギエフは、ロシア作品の演奏でクラシック・ファンのど肝を抜いた指揮者。常任指揮者となったロンドン交響楽団(LSO)とのマーラー・シリーズでも「大暴れしてくれるんじゃないか?」と思いましたが、聴いてみると、ちょっとちがう印象です。
そもそもマーラーと、チャイコフスキーやストラヴィンスキーでは、同じ“盛り上がり系”でもちがうな、と気づきました。
マーラーの交響曲第7番の第1楽章は、マーラーによくある支離滅裂な(?)“盛り上がり系”楽章です。
だけど一直線には進まない。車の走行にたとえれば、いつもエンジンブレーキがかかっているようなもの。マーラーらしいといえばマーラーらしいのですが、これでゲルギエフも「大暴れしてくれ」と言われてもねえ。
腰のすわったゴチック風、第7番
そのかわり第1楽章は、重厚な雰囲気を醸し出しています。“19世紀風”といいますか“ゴチック風”といいますか。冒頭の導入の弦など、ホラー映画のよう。こういう厚みのある第1楽章を聴いたのは初めてです。
と思いきや、第3楽章「スケルツォ」は、我々がミーハー的に期待するゲルギエフそのもの、エネルギッシュでした。「スケルツォ」はマーラーもエンジンブレーキをかけていないので、ゲルギエフの味がわかりやすいと思います。
交響曲第7番はマンドリンの奏でる第4楽章「セレナード」に魅かれるわけですが(ホッとしますよね)。第1楽章や第3楽章、第5楽章でも手ごたえがあったわけです。
トータルでは本演奏が、今まで聴いた第7番ではいちばん“腰のすわった交響曲第7番”に思えました。ゲルギエフのロシア物以外の一面を覗きたい方は聴いてみてください。
マルチチャンネルで、フロントのオーケストラ音再生に集中
マルチチャンネルで聴きましたが、ホールトーンの響きは、ほとんど感じませんでした。「おや、2チャンネルか?」と思ってしまいそうですが、確かめるとリアもちゃんと鳴っています。
リア音は、たぶん言葉では説明できない音のニュアンスに貢献しているでしょう。その証拠に、フロントのオーケストラの広がり、奥行き、位置関係のリアルさが2チャンネルとはちがって感じます。
最終楽章、最後の音が鳴り終った時には、残響音がリスニングルームに広がります。やはりマルチチャンネルにひたっていたのでした。
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2008.9.27
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